大阪市・摂津之国 国分寺

全国に存在する国分寺

国分寺という名前は今でも日本の中に多く残っています。
聖武天皇の勅願によって国ごとに国分寺と国分尼寺が置かれ、東大寺を総国分寺、法華寺を総国分尼寺として国家の宗教的統率力で国を治めようとしたということは学校の教科書でも学んだことです。
国分寺と国分尼寺を設置することによって地方政治を確立すること、地方文化の開拓に力を入れることを目指し、今でも国分寺という地名であったり国分寺や国分尼寺の跡地に石碑が建てられたりしています。

全国的に国分寺と国分尼寺というのは対になっており近くに設置されているのがほとんどです。
しかし、摂津国については国分寺と国分尼寺が直線距離でも9キロメートルも離れているという少し変わった作りとなっています。

摂津乃国 国分寺

国分寺は明治6年まで、一宗一派に属しない勅願道場として独自の地位にありました。
江戸時代には関所道中御免の鑑札発行所としての特権を与えられましたし、全国各所に有縁の衆徒を数千人も抱えるといった隆盛を極めます。
しかし、その後、神仏分離の影響を受けて衰退してしまい明治末期には再興されて今に至っているという歴史があるものです。

寺伝によると大化元年である645年の末に孝徳天皇が難波長柄豊碕宮を造営するものの、崩御の後に斉明天皇によって飛鳥板蓋宮に遷都されます。
その後、難波長柄豊碕宮の旧址に長柄寺と称してお寺が建立されます。

天平13(741)年に聖武天皇より国分寺建立の詔が公布された際、既存の長柄寺を摂津国の国分寺として定められたのです。
ここから歴代天皇十四帝の勅願道場として由緒あるお寺として現存しています。

ただし、長い歴史の中で幾度も戦火にさらされています。
特に豊臣氏が滅亡した大坂夏の陣の際には全焼して荒廃した状態が続いてしまった時代もあるのです。
その後、江戸時代になって再建され今の姿を維持しているのです。

摂津国八十八所巡礼

昔、近畿地方は五つの国に分かれており、その一つが摂津国です。
今でいうと大阪市、大阪府北部、兵庫県の一部の地域がこれにあたります。

江戸時代の中期に月海上人によってこの摂津国に開創されたのが摂津国八十八ケ所霊場で、これを巡礼する人は今でも多くいます。
大阪から兵庫にかけてと範囲が広いですが、交通の利便性が高いので巡礼することが可能です。
そのため、最近ではこの摂津国八十八所巡礼をするために摂津乃国 国分寺を参拝するために訪れるという人も多いです。

参拝することで様々なお願いを祈祷するのはもちろんですが、最近では御朱印を集めるという人も多いです。
御朱印ブームの影響もあり、八十八所を巡礼しなくても、国分寺の御朱印をいただくために参拝するという人も増えています。